事業における苦労と成功

<数々の苦労を重ねてきた経歴>

苦悩
若い頃から多くの成功と業績を残した梶原吉広さんですが、簡単に青年実業家として成功をおさめていたわけではないようです。
広告代理店業務ではネット業界とはまったく関係のない事業を展開していたので、成功までの苦労もいろいろとあったのでしょう。

様々なサービスを配信してきた中で、梶原さんを成功へと導いたのはモバゲーの渋谷クエストリリースです。
わずか数日で30万人もの登録者を集めました。

渋谷クエストは、あの株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)が手掛けているケータイSNSサイト「モバゲータウン」にて始まりました。
モバゲータウンは2007年当時、会員登録数は500万人以上にもなったサイトです。その人気コンテンツの一部が梶原吉広が当時手掛けていた渋谷クエストだったのです。
現在はMobageという名前に変わりましたが、多くの面白いソーシャルゲームを提供し続けています。

梶原吉広が手掛けた「渋谷クエスト」は、渋谷を舞台としたRPG型ソーシャルゲームで、2010年2月15日から配信が始まりました。友だちとリアルタイムでクエストを進めたり、対戦したり、お宝を奪い合うなど、コミュニケーション要素をたくさん含んだゲームとなっているそうです。

突然のユーザーの大量登録によってサーバーは何度もダウンしてしまい、当時はスタッフも10名程度しかいなかったので24時間体制での手動操作が必要になってしまったというエピソードがあります。
10名で30万人ものユーザーへ対応するため、一人あたり3万人ということになります。当時の仕事のハードさは想像できません。

もともと海外でサーバーをレンタルしていたため、これをきっかけに国内へサーバーを移行し、徐々に環境を改善していったのだそうです。
ネット業界へ踏み入れ、その成功の手ごたえを実感してからは、更なる向上を目指してソーシャルゲーム事業を一本化する決心をしたそうです。

ディー・エヌ・エーという大企業が梶原吉広さんの会社を利用したのは、まさに運命的な出会いと言えたのかもしれませんね。
とはいえ、ディー・エヌ・エーもモバゲータウンで飛躍的に成長を遂げた会社、成功を梶原吉広さんと分かち合ったと言うのが正しい形かもしれません。

 

<成功のカギは携帯・スマホにあった>

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梶原吉広さんはどのようにして成功を築き上げてきたのでしょうか。
現在はすっかりメディアに業界にも浸透し、非常に多くの人がソーシャルゲーム事業を手掛けるようになりました。ソーシャルゲーム界の風雲児とも呼ばれる梶原吉広さんはその先駆者でもあり、成功者でもあります。
梶原さんが最初に立ち上げた広告代理店では紙媒体の取り扱いがメインでした。ネット事業とは関係なかったのです。

携帯電話に着目した事業を開始

MixiといったSNSが流行し始めた時期、その分野に飛び込みたいという想いから広告代理店業務の成功からの資金をもとに事業をスタート。
インターネット事業を展開してすぐ“nendo”というサービスを制作。しかし上手い展開には至らず、2008年には携帯電話用SNS“REAL”を開始しました。

これもユーザーが思うように集まらずさらに試行錯誤した結果、2009年の渋谷クエストの配信とその成功へたどり着きました。
30万人ものユーザーを集めることを達成し、事業もソーシャルゲーム一本に絞って展開しました。
良い売上を誇った広告代理店事業からインターネット事業ひとつへ転換し、時代の先駆けとして事業を生み出したことが大きな成功へつながったと言えるでしょう。

それから、そうしたインターネット事業に本格的に乗り出し、様々なゲームを生み出し続けます。

渋谷クエストから僅か5か月後、「大乱闘!!ギルドバトル」をこの世に送り出しました。
モバゲーでプレイできる、皆で楽しく遊べるゲームとしてgloopsの「大乱闘!!ギルドバトル」は話題になりました。
現在はもう7周年目を迎えていますが、今もなお愛され続けている人気コンテンツのようです。
梶原吉広さんが代表を務めたgloopsは品質の高いゲームを次々と生み出していったのです。

そんな梶原吉広さんは「ビジネスを始める見極めポイントは何ですか?」と聞かれ「何があっても事業を続けていく自信があるかどうか」と答えています。また、成功か失敗という表現はなるべく使いたくないとも話していました。起業することについては断面的な結果というのはあまり意味がないと思っているからなんだとか。

梶原吉広さんのgloopsは、現在も多くのゲームを手掛けています。更なる進化も遂げており、公式ホームページのニュースでも確認できますね。
実はgloopsは、国内向けのゲームのみを提供していたわけではないのです。中国にゲームを提供し、進出しています。「奥丁戦記」というゲームを知っていますか?
このゲームはモバゲーが中国にて遊べるように運営しているゲームなのですが、このゲームを手掛けたのがgloopsというわけです。

実績と定評ある梶原吉広とは

ゲーム大国と呼ばれる日本ではゲーム業界において伝説的とも言われる人物は多数存在しています。
日本が生み出した数々のゲーム機は世界各国で大ヒットとなり、多数のユーザーを抱えています。
これらのゲーム機やそれぞれのソフト開発に携わったクリエイターや技術者などは、有名となり多くの人々から愛される存在となりました。

そして、こうした伝説的な人物はソーシャルゲームの世界においても存在しています。

 

<ソーシャルゲーム界の革命>

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ソーシャルゲームはテレビゲームが全盛期を迎えた後に生まれた存在です。
パソコンやスマートフォンが今より普及する前……ガラパゴス携帯、ガラケーが主だった時代では大人、子供も関係なく誰もがテレビゲームに夢中でした。
コミュニケーションは実際に人と会って行うものであり、まさか携帯電話でコミュニケーションがとれる、そんな時代が来るとは想像もしませんでした。
携帯電話などのスペックが不足していたということもありましたが、ある人物によってコミュニケーションが取れるゲームがこの世に生まれたのです。

その代表格ともいえる人物が、実業家の梶原吉広さんです。

かつて服飾専門学校に通っていた梶原吉広さん。ファッションデザイナーを目指していたようですが、卒業した後にショップ店員になる人ばかりだということを知り中退しています。もし、この時中退せずにデザイナーを目指したまま服飾を学び続けていたら、数々のヒットゲームはこの世に生まれていなかったかもしれませんね。

梶原吉広さんはソーシャルゲーム会社を立ち上げ、そちらの会社を通して多数のソーシャルゲームを生み出してきました。
さらに、これら梶原吉広さんが送り出したソーシャルゲームの多くが世間のユーザーに受け入れられました。中には大ヒットとなった作品もたくさんあるのです。

梶原吉広さんの立ち上げたgloops(グループス)が生み出した大人気ゲーム、その具体的な作品名を知っていますか?
「大進撃!!ドラゴン騎士団」や「大争奪!!レジェンドカード」、「大戦乱!!三国志バトル」などが挙げられます。

いずれもソーシャルゲームの一時代を築いたものばかりで、テレビCMなどで見かけることも多かったのではないでしょうか。
今も運営が続けられ、多くのユーザーによって愛されているゲームだと聞きます。

当時としてはまだまだテレビゲームが主流であり、ソーシャルゲームのユーザー数はゲーム業界全体で見ればまだ少数派でした。
しかしながら、このような状況を変えたのが梶原吉広さんなのです。

gloopsの「渋谷クエスト」はソーシャルゲームの先駆け的存在でした。
その少し後にDeNAからリリースされた「怪盗ロワイヤル」から、ソーシャルゲームにとって大切なのは、短時間で成果が得られることと、他人との繋がりであると感じたようです。
これが梶原吉広さんのソーシャルゲームの第一印象であったといっても過言ではないでしょう。のちにモバゲータウンでリリースする渋谷クエストでは怪盗ロワイヤルを参考にしたそうです。

 

<梶原吉広さんが生み出したソーシャルゲーム>

梶原吉広さんが企業を通じて送り出したソーシャルゲームが大ヒットを遂げたことによって、世の中のソーシャルゲームに対する認知度が高まったのです。

つまり、梶原吉広さんはこうしたヒット作品の開発によってソーシャルゲームを世の中に広めたという功績を持つ人物と言われているのです。
今やソーシャルゲームは当たり前の存在になっており、多くの方がそれぞれの場面でプレイしていますが、かつてはそれが当たり前ではなかったのです。

それを当たり前の時代に変えた人物こそが梶原吉広さんです。ソーシャルゲームの世界において伝説的とも言われる人物の一人になっているのは、当然と言えば当然のことなのです。
また、この梶原吉広さんは現在ソーシャルゲームの世界を離れて暮らしていますが、その才能には多くの関係者も注目しているために、今でも復帰を望む声があるのです。

そのような声がソーシャルゲームの関係者から多く挙がる人物なのです。