ゲーム大国と呼ばれる日本ではゲーム業界において伝説的とも言われる人物は多数存在しています。
日本が生み出した数々のゲーム機は世界各国で大ヒットとなり、多数のユーザーを抱えています。
これらのゲーム機やそれぞれのソフト開発に携わったクリエイターや技術者などは、有名となり多くの人々から愛される存在となりました。

そして、こうした伝説的な人物はソーシャルゲームの世界においても存在しています。

ソーシャルゲーム界の革命

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ソーシャルゲームはテレビゲームが全盛期を迎えた後に生まれた存在です。
パソコンやスマートフォンが今より普及する前……ガラパゴス携帯、ガラケーが主だった時代では大人、子供も関係なく誰もがテレビゲームに夢中でした。
コミュニケーションは実際に人と会って行うものであり、まさか携帯電話でコミュニケーションがとれる、そんな時代が来るとは想像もしませんでした。
携帯電話などのスペックが不足していたということもありましたが、ある人物によってコミュニケーションが取れるゲームがこの世に生まれたのです。

その代表格ともいえる人物が梶原吉広さんです。

梶原吉広さんはソーシャルゲーム会社を立ち上げ、そちらの会社を通して多数のソーシャルゲームを生み出してきました。
さらに、これら梶原吉広さんが送り出したソーシャルゲームの多くが世間のユーザーに受け入れられました。中には大ヒットとなった作品もたくさんあるのです。

梶原吉広さんの立ち上げたgloopsが生み出した大人気ゲーム、その具体的な作品名を知っていますか?
「大進撃!!ドラゴン騎士団」や「大争奪!!レジェンドカード」、「大戦乱!!三国志バトル」などが挙げられます。

いずれもソーシャルゲームの一時代を築いたものばかりで、テレビCMなどで見かけることも多かったのではないでしょうか。
今も運営が続けられ、多くのユーザーによって愛されているゲームだと聞きます。

当時としてはまだまだテレビゲームが主流であり、ソーシャルゲームのユーザー数はゲーム業界全体で見ればまだ少数派でした。
しかしながら、このような状況を変えたのが梶原吉広さんなのです。

gloopsの「渋谷クエスト」はソーシャルゲームの先駆け的存在でした。
その少し後にDeNAからリリースされた「怪盗ロワイヤル」から、ソーシャルゲームにとって大切なのは、短時間で成果が得られることと、他人との繋がりであると感じたようです。
これが梶原吉広さんのソーシャルゲームの第一印象であったといっても過言ではないでしょう。のちにモバゲータウンでリリースする渋谷クエストでは怪盗ロワイヤルを参考にしたそうです。

梶原吉広さんが生み出したソーシャルゲーム

梶原吉広さんが企業を通じて送り出したソーシャルゲームが大ヒットを遂げたことによって、世の中のソーシャルゲームに対する認知度が高まったのです。

つまり、梶原吉広さんはこうしたヒット作品の開発によってソーシャルゲームを世の中に広めたという功績を持つ人物と言われているのです。
今やソーシャルゲームは当たり前の存在になっており、多くの方がそれぞれの場面でプレイしていますが、かつてはそれが当たり前ではなかったのです。

それを当たり前の時代に変えた人物こそが梶原吉広さんです。ソーシャルゲームの世界において伝説的とも言われる人物の一人になっているのは、当然と言えば当然のことなのです。
また、この梶原吉広さんは現在ソーシャルゲームの世界を離れて暮らしていますが、その才能には多くの関係者も注目しているために、今でも復帰を望む声があるのです。

そのような声がソーシャルゲームの関係者から多く挙がる人物なのです。

ちょっと趣向を変えて最近観た映画の話でもしてみようと思います。
アマゾンプライムで気になった映画をどんどんウォッチリストに突っ込んでいるのですが、こんなのウォッチリストに入れたかな?っていうのがあって、それを見てみたら結構面白かったんです。
「トランス・ワールド」って映画なんですけど、事前情報一切なしで見て大正解でした!森に迷い込んだ人たちの不思議な話で、メインの役者は4人、撮影場所は雑木林でセットも少ししかなく、かなり低予算で作られているわりにアッと驚かされる展開で、まさに脚本で勝負しているなっていう映画でした。90分という時間もちょうどよかったですね。是非ネタバレなしで観てもらいたい一作です。

最近やったゲームで面白かったのはジャッジアイズです。セガの龍が如くを作っているプロジェクトチームが新しく作ったゲームで、SMAPの木村くんが主人公という事で話題になった作品です。(あとピエールさんでも話題になりましたね…笑)
話題性だけかと思いきや、ストーリーがかなりしっかり作られていて本当に引き込まれてしまいました。そして主人公がかっこいいのなんの。イージーモードもあるので、アクションが苦手な人も遊んでみてほしいですね。

この間、北海道に旅行に行きました。何度か行ったことがあるので、戻って来た感が凄いのですが(そこまで頻繁に行っているわけではないですが笑)、行きたいところが色々あるので悩みますよね。限られた時間、限られた費用でどこを見て回るか…今回は、富良野へ。ちょうどラベンダーが咲いている頃だったので、見渡す限りの紫の花畑…ラベンダーソフトクリームも食べてきました。ジャガイモも美味しくて、カニも美味しくて、食い倒れツアー最高でしたね。

旅行の道中に読んでいた本の話ですが、「十角館の殺人」。とても面白いミステリー小説だったのでおすすめです。本格ミステリーの王道って感じで(タイトルにも殺人って入っていますしね)孤島にある奇妙な館と、7人の男女の話です。一人ひとり殺されていくのですが、死んだ人から送られてきた手紙とは…というストーリー。何を言ってもネタバレになってしまいそうなので詳しくは言えないので、是非読んでみてください。

ほかに個人的に面白いと思ったのは「我らが隣人の犯罪」。宮部みゆきさんの作品で、5作品収録されている短編集なので気軽に楽しめると思います。ご近所の騒音問題をどうにかしようと犬の誘拐を企てる家族や、愛人を名乗って赤ちゃんを連れてくる女性の話など…人物描写と、読んだ後に思わず笑みがこぼれるような感じがいいですね。

あと前に京都にも行きました。これはもうメジャーな観光地巡りって感じだったので、どこも観光客が凄かったですね。
学生時代にも行った清水寺ですが、やっぱり良かったですね。丁度秋に行ったので紅葉も綺麗で、心が洗われました。
ほかにも寺巡りしたのですが、個人的に面白かったのは京都水族館です。京都駅からも近くて、内陸なのにかなりの大きくてびっくりしました。京都の歴史も感じられて良かったです。

最近ちょっとお腹がたるんできたなぁ…と年を実感しているので、腹筋を割るべく筋トレに勤しんでいます。腹筋だけじゃなくてまんべんなくやっていますが、今回は腹筋にフォーカスして話そうかなと。
腹筋を効率よく割るためにいまやっているのがフロントブリッジとクランチ、レッグレイズ、ニートゥチェストなんかです。だいたいyoutubeを参考にやっているんですけどまぁキツイ。どれだけ普段筋肉を使っていないかということですね。なかなか割れる気配がありませんが、気長に頑張りたいと思います。

そして腹筋をするなら背筋もしなくてはいけませんね。背筋がないと猫背になったりするので。あと基礎代謝も上げとかないといけないですしね。
とりあえずプランクはマストでやっています。これがシンプルながらもキツイ。あとは、ハイリバースプランク、バックエクステンション、ヒップリフトなど。マシンを使わなくても自重だけでかなり負荷をかけられるので、筋トレってお手軽でいいです。やるのはキツイですけど(笑)

朝起きるのは得意な方なんですけど、この間光目覚まし時計なるものを買いました。大型LEDとディスプレイがついていて、目覚まし時計だけじゃなくてLEDライトとしても使えるものです。LEDの操作は本体でももちろん可能ですが、スマホアプリを使う方が便利。Bluetoothがついているので、アプリで暖色・昼光色・中間色に切り替えられます。夜明けみたいにだんだん明るくしていくことができるので、それがなかなかいい。LEDは朝日と同じくらいの明るさまでいくので、いい感じに目覚められますよ。

あと最近持ち歩いていたモバイルバッテリーが壊れてしまってうまく充電できなくなってしまったんですよ。だからいいのないかな~と探していた時に見つけたのがcheero Power Plus 5 Stick 5000mAhです。スティックタイプのスタイリッシュなバッテリーで、アルミボディの高級感ある光沢などデザインに惹かれて買いました。5000mAhで重量はなんと125g。バッテリー持ち歩いて重いってなるのは嫌なのでこの軽さも購入の決め手でした。デジタルインジケーターがあって、バッテリー残量を1%刻みで表示してくれるのもわかりやすくて好きです。値段もそこまで高くないのでおすすめですよ。

自分はポテトが好きなので結構いろんなところでポテトを食べているのですが、最近のお気に入りはエッグスシングスのポテト。エッグスシングスといえばあの山のような生クリームが乗ったパンケーキが有名なんですけど、エッグスベネディクトなどに添えられているポテトが凄く美味しいんですよ!甘いもの(パンケーキ)としょっぱいもの(ポテト)を交互に食べてると無限にいける気がしますね。

あと好きなものは焼き鳥です。銀座バードランドってとこで焼き鳥のコース料理が食べられるんですけど、どれも本当に美味しいんですよ。焼き鳥店として日本で初めてミシュランの星を獲得したお店なので美味しいのは当たり前って感じかもですけれど。焼き加減が絶妙で、香ばしくて…一度行ってみてほしいです。まさに大人の焼き鳥って感じですね。

梶原吉広さんの経歴・プロフィール

梶原吉広さんは1979年7月26日生まれで、福岡県北九州市の出身です。

小学生の頃、梶原吉広さんは自転車に乗っているとき急にブレーキが壊れてしまうというトラブルに見舞われたそうです。いまでもあのときのことを思い出すと、背筋がひやりとするのだが。幸い少しの怪我で済んだようです。

また、小学生の頃はドラクエやFFといったRPGゲームにハマっていたとのことです。最新作を買うためにゲーム屋さんに並んだこともあったのだとか。徹夜でプレイしたこともあり、翌日の学校が眠くてしょうがなかったと語っています。

梶原吉広さんが学生時代に某ファーストフード店のバイトを頑張っていたそうです。それまで親からのお小遣いでやりくりをしてきたと思いますが、やはり自分で汗水たらして働いて稼いだお金は、別格に嬉しかったようですね。仕事が結構出来るタイプだったので、他のアルバイト仲間から頼られるのも嬉しかったそうです。

「ワンピースの主人公である、ルフィに似ている」とも言われているそうです。やさしさという性格面でもルフィに似ているのだとか。こちらに関しては結婚相手の女性、山本梓さんがそう言っているので間違いないのかもしれません。

山本梓さんはグラビアアイドルや女優などをされていた有名人です。現在は梶原吉広さんと共にシンガポールへ移住し、お二人で結婚生活を送られています。英語が得意ということもあり、梶原吉広さんとは長らく遠距離恋愛をして、しばしばシンガポールまで会いに来ていたという話もあります。

シンガポールを拠点に選んだ理由として、ワーク・ライフ・バランスが良く新たな一歩を踏み出すのに適した土地だと感じたと梶原吉広さんは語っています。また、奥さんが英語を話せること、そして英語が公用語であるという点もシンガポールを選んだ理由に含まれているそうです。

また、シンガポールは日本に比べて物価が高いですが、災害とはほとんど無縁な国だそうです。
治安も良いため、その点は日本に比べると住みやすいと感じるという梶原吉広さん。
たしかにシンガポールは世界中の安全度を測る「世界平和度指数ランキング」で20位にランクインするなど、他の国と比べて安全な国だと言えるでしょう。

梶原吉広さんの活動拠点となっているシンガポールの人気グルメは、ハイナンチキンライス、バクテー、チリクラブ、ラクサ、フィッシュヘッド・カレーなどいろいろあります。梶原さんはチリクラブが好きみたいですね。チリソースのピリリと、そして少し甘みのある辛さと蟹が絶妙にマッチしているメニュー。少し食べにくいですが、ワイルドにガブガブと食べている姿が目に浮かびます。他にもシンガポールのグルメと言えばカヤトーストやサテー、フライド・ホッケンミーなど種類豊富。一度は現地で食べてみたいですね。

ちなみに国内で好きな県は千葉県だという梶原吉広さん。
意外な答えでしたが、どうやら奥さんである山本梓さんのご実家が千葉県船橋市だそうで、結婚前に連れて行ってもらって以来、千葉県が好きになったと話しています。
ディズニーランドが千葉県にあることも上京後に知ったというほど関東についてはあまりよく知らなかったそうですが、山本梓さんに連れられて千葉県にいったとき、役所の対応が親切だったことや交通マナーが良いなど、千葉県の人の暖かさに触れて以来、千葉県が好きだそうです。

そんなお二人の気になる出会いですが、2012年頃に共通のお友達を介して知り合ったそうですよ。
山本梓さんが悩みの相談をよくするようになり、2013年の夏頃には交際へ発展していったようですね。それから約半年後には山本梓さんのご実家へ挨拶に行かれたそうで、交際わずか半年ほどのスピード婚だったようです。

山本梓さんと結婚する前はひとりで行動するタイプだったという梶原吉広さん。独身時代にはひとりで焼き肉を食べたこともあったという話です。いまは子どもも生まれ、嫁である山本梓さんと3人で出かけることが多いのだとか。

ルフィといえば、国内でも大人気の漫画の主人公で、実直で情に厚い、仲間を引っ張っていくことができる強くて優しい青年。
梶原吉広さんもルフィのように仲間たちを牽引するような存在なのでしょうね。

また、梶原吉広さんは、自分で何でもできる大人になりたいと考えていたのだとか。自分の力で世の中を変えてやるとまでは思っていなくても、世界に影響を与えるような人に憧れていたのだそうです。スティーブ・ジョブスのような純粋にカッコイイ大人になりたいと思っていたのではないでしょうか?

梶原吉広さんは、疲れを感じた時にはヘッドスパやマッサージに行くそうです。仕事で疲れた頭を心地よい力加減でマッサージしてもらうと、とてもスッキリしてまた次の日頑張ろう、と気力が湧いてくるそうです。ヘッドスパはリラックスできるだけでなく、頭皮環境も改善、綺麗な髪の毛になるなどの効果があるそうです。身だしなみに気を遣う人にはピッタリですね。

上京して、有限会社グローバルディアソリューション設立へ

起業
梶原吉広さんはファッションデザイナーを夢見て一度服飾の専門学校に入学していますが中退しています。その時から分野は違いますが起業を意識していたんだとか。学生時代から趣味でDJやイベントを企画するなど好奇心旺盛で失敗を恐れない性格だったということもあり、そのチャレンジ精神が起業家として成功した秘訣でもあるのではないでしょうか。

中退後に上京、300万円の資金で有限会社グローバルディアソリューションを立ち上げました。ソーシャルゲーム開発企業gloopsの前身です。
広告代理店として起業したこの会社は当初社員三人という小規模なものでしたが、初年度の売り上げは2億5千万円と大きな成功を収めています。

ちなみに当時はオフィス近くにあった定食屋さんへよく通っていたという梶原吉広さん。
いまでもその定食屋さんは健在で、東京へ帰ってきた際はたまに足を運ぶそうです。初心に帰れる場所なのかもしれませんね。

そもそも梶原吉広さんが上京したきっかけですが、起業して東京で成功したいという思いから上京したそうです。もともと起業に興味があったそうで、どうせ起業するなら地元ではなく東京という大都会で成功したい!という気持ちが強かったんだとか。

上京後の辛かった経験として満員電車と答えていた梶原吉広さん。
福岡にいた専門学生時代は通学に電車を使っていたそうで、ある程度の混雑には慣れていたつもりだったけれど、東京の満員電車はそれ以上だったと話しています。
また、福岡にいた頃は通学以外の移動手段が主に車でしたが、上京してからは資金調達で車を購入しているどころではなかったため、どこへ行くにも電車移動で辛かったようです。

梶原吉広さんは起業時に印象に残っていることとして、起業するには自分が想像していた以上にお金がかかったと大変だった思い出を語っていました。今や成功者の仲間入りとなりましたが、地方から東京に出てきた若者には、300万円の資金を集めることはとても大変なことだと思います。そうした経験があったからこそ、成功を掴んだのかもしれません。

ちなみに梶原吉広さんは起業時にロバート・B・チャルディーニ著の「なぜ、人は動かされるのか?『影響力の武器』」という本をよく読んでいたそうです。ネット時代となった現代の密かな広告戦略などを体系的に理解することができるこの本。梶原吉広さんが大きな成功を収めたことにつながっているのかもしれませんね。

しかし、広告代理店からSNS分野へ方針を変えます。
当時はインターネット通信とスマートフォンの普及もあったため、この分野の成長も著しかったのです。

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当初三人だった社員も150人に増え、企業も大きく成長しています。その後、ゲーム開発で著名なネクソンにgloopsを売却し、資産300億円を得ました。当時のgloopsの年商は237億円でした。

シンガポールで活動

現在はシンガポールで活動しているようです。シンガポールは住民税や贈与税、相続税などがない国なので、資産家にとって住みやすいと言えるでしょう。そうした背景から、数多くの企業が揃っています。中小企業から大企業、ベンチャー企業など幅広いです。様々なことに挑戦できるという環境があるので、梶原吉広さんのように、何事も挑戦してきた経歴を持つ人にはぴったりのお国柄かもしれません。

開発したゲームの登録者は1000万人を超えています。モバゲーの最良のパートナーとして、2011年に受賞しました。

例えば人気シリーズの『大連携!!オーディンバトル』というアプリケーションは、それだけで会員数が既に30万人以上を突破したというニュースがありました。それが2011年で7年程前の事なので、今はもっと多くの人が遊んでいるかもしれません。しかし、大連携!!オーディンバトルの人気の凄さは人数だけではありません。その早さもその1つなのです。大連携!!オーディンバトルは、なんとアプリゲームとしてリリースされてから4日で、会員数30万人突破を果たしたんだそうです。

時代の先を読むことに長け、ソーシャルゲームの先駆者として成功をおさめたのです。

これまで様々な苦労を経験してきた梶原吉広さんですが、「人生やり直せるなら何歳からやり直したい?」と聞かれると、今の人生を気に入っているから特にやり直したいと思うことはないんだとか。でも強いて言うなら「19歳」と答えています。
服飾専門学校を中退しているため、そのままファッションデザイナーを目指していたら今とはだいぶ違う人生になっていたと思うと話していました。人生をやり直したいというよりは、別の道を選んでいたらどうなっていたのか気になるといった意味で19歳に戻ってみたいそうです。

今後の活躍も期待出来る人物と言えるでしょう。

21. 12月 2017 · 事業における苦労と成功 はコメントを受け付けていません。 · Categories: gloops, 梶原吉広

数々の苦労を重ねてきた経歴

苦悩
若い頃から多くの成功と業績を残した梶原吉広さんですが、簡単に青年実業家として成功をおさめていたわけではないようです。
広告代理店業務ではネット業界とはまったく関係のない事業を展開していたので、成功までの苦労もいろいろとあったのでしょう。

様々なサービスを配信してきた中で、梶原さんを成功へと導いたのはモバゲーの渋谷クエストリリースです。
わずか数日で30万人もの登録者を集めました。

渋谷クエストは、あの株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)が手掛けているケータイSNSサイト「モバゲータウン」にて始まりました。
モバゲータウンは2007年当時、会員登録数は500万人以上にもなったサイトです。その人気コンテンツの一部が梶原吉広が当時手掛けていた渋谷クエストだったのです。
現在はMobageという名前に変わりましたが、多くの面白いソーシャルゲームを提供し続けています。

突然のユーザーの大量登録によってサーバーは何度もダウンしてしまい、当時はスタッフも10名程度しかいなかったので24時間体制での手動操作が必要になってしまったというエピソードがあります。
10名で30万人ものユーザーへ対応するため、一人あたり3万人ということになります。当時の仕事のハードさは想像できません。

もともと海外でサーバーをレンタルしていたため、これをきっかけに国内へサーバーを移行し、徐々に環境を改善していったのだそうです。
ネット業界へ踏み入れ、その成功の手ごたえを実感してからは、更なる向上を目指してソーシャルゲーム事業を一本化する決心をしたそうです。

ディー・エヌ・エーという大企業が梶原吉広さんの会社を利用したのは、まさに運命的な出会いと言えたのかもしれませんね。
とはいえ、ディー・エヌ・エーもモバゲータウンで飛躍的に成長を遂げた会社、成功を梶原吉広さんと分かち合ったと言うのが正しい形かもしれません。

成功のカギは携帯・スマホにあった

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梶原吉広さんはどのようにして成功を築き上げてきたのでしょうか。
現在はすっかりメディアに業界にも浸透し、非常に多くの人がソーシャルゲーム事業を手掛けるようになりました。ソーシャルゲーム界の風雲児とも呼ばれる梶原吉広さんはその先駆者でもあり、成功者でもあります。
梶原さんが最初に立ち上げた広告代理店では紙媒体の取り扱いがメインでした。ネット事業とは関係なかったのです。

携帯電話に着目した事業を開始

MixiといったSNSが流行し始めた時期、その分野に飛び込みたいという想いから広告代理店業務の成功からの資金をもとに事業をスタート。
インターネット事業を展開してすぐ“nendo”というサービスを制作。しかし上手い展開には至らず、2008年には携帯電話用SNS“REAL”を開始しました。

これもユーザーが思うように集まらずさらに試行錯誤した結果、2009年の渋谷クエストの配信とその成功へたどり着きました。
30万人ものユーザーを集めることを達成し、事業もソーシャルゲーム一本に絞って展開しました。
良い売上を誇った広告代理店事業からインターネット事業ひとつへ転換し、時代の先駆けとして事業を生み出したことが大きな成功へつながったと言えるでしょう。

それから、そうしたインターネット事業に本格的に乗り出し、様々なゲームを生み出し続けます。

渋谷クエストから僅か5か月後、「大乱闘!!ギルドバトル」をこの世に送り出しました。
モバゲーでプレイできる、皆で楽しく遊べるゲームとしてgloopsの「大乱闘!!ギルドバトル」は話題になりました。
現在はもう7周年目を迎えていますが、今もなお愛され続けている人気コンテンツのようです。
梶原吉広さんが代表を務めたgloopsは品質の高いゲームを次々と生み出していったのです。

そんな梶原吉広さんは「ビジネスを始める見極めポイントは何ですか?」と聞かれ「何があっても事業を続けていく自信があるかどうか」と答えています。また、成功か失敗という表現はなるべく使いたくないとも話していました。起業することについては断面的な結果というのはあまり意味がないと思っているからなんだとか。

梶原吉広さんのgloopsは、現在も多くのゲームを手掛けています。更なる進化も遂げており、公式ホームページのニュースでも確認できますね。
実はgloopsは、国内向けのゲームのみを提供していたわけではないのです。中国にゲームを提供し、進出しています。「奥丁戦記」というゲームを知っていますか?
このゲームはモバゲーが中国にて遊べるように運営しているゲームなのですが、このゲームを手掛けたのがgloopsというわけです。

23. 10月 2017 · 梶原吉広が創立したGloops、情熱を持った後継者スタッフ はコメントを受け付けていません。 · Categories: gloops, 梶原吉広

梶原吉広さんがソーシャルゲームのパイオニアとなったのは有名な話かもしれませんね。

ソーシャルゲームといえばお馴染みのモバゲーですが、その人気ゲームを数多く提供してきたのが梶原吉広さんが創立したgloopsなのです。
元々はインターネット向けのソーシャルサービスや広告サービスを提供していましたが、梶原吉広が舵を取りソーシャルゲームの開発に着手しました。
モバゲーでの展開・運営を行い、人気ゲームを作り上げてきました。誰もがCMで見たことのあるものばかりです。

梶原吉広さんが創業した株式会社gloopsは、2012年「TOMODACHIプロジェクト」に寄付を行ったようです。「TOMODACHIプロジェクト」は、東日本大震災からの復興をサポートしながら、長きにわたって日米間の経済的・文化的なつながりを強め、親交を深めるためのもの。両国の未来の世代に投資する官民パートナーシップです。とことん野球プロジェクトをはじめ、様々な支援を行っているようですね。

2018年現在、梶原吉広さんは退社してシンガポールで新しい事業に挑戦しています。
芸能人アイドルの山本梓さんと結婚し、家族揃って新天地での暮らしをしているというニュースが報道されたのも記憶に新しいです。

そんな新たな挑戦を続ける梶原吉広さんですが、好きな言葉を聞かれるとJリーガーの三浦知良選手が言っていた「常に何かに挑戦していれば輝きは失われない。 挑戦してその結果が成功だとか、失敗だとかではない。」という言葉を挙げていました。
どうやら起業してから身に染みた言葉だそうで、成功や失敗にこだわるのではなく、常に何かに挑戦していることで自然と結果がついてくるのだと実感したそうです。

また、梶原吉弘さんは2018年の気になるニュースとして、グノシーがスポーツ情報を提供する「グノシースポーツ」をリリースしたことを挙げています。グノシーの知名度の高さから、このアプリを利用するユーザーも増えていくのではないかと予測しているようです。

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そんな梶原さんの創立したgloopsではそうした挑戦心を持ったスタッフ達が今日も尽力し続けているようです。
gloopsのホームページには働いているスタッフ達の声を載っているページがあります。

あの「SKYLOCK」のディレクター!ソーシャルゲームへの情熱を持つKentaro.Mさん

就職活動時の想い出から語っているのは、人気ゲーム「SKYLOCK」のディレクターを務めている、Kentaro.Mさん。
大人気漫画ドラゴンボールの作者、鳥山明さんのお弟子さんがデザインを手掛けている人気ゲームでもあります。

gloopsとの出会いは大学での合同説明会。
『大戦乱!!三国志バトル』『大連携!!オーディンバトル』などのソーシャルゲームを知っていたKentaroさんは話を聞いてみることにしたのだそうです。
Kentaroさんは「あまり地元には娯楽がなかった。」と語っています。そういった背景からもソーシャルゲームという、どこでも出来るゲームが好きだったそうです。

確かに、ガラケーやスマートフォンさえあればどこでもプレイできるソーシャルゲーム。友達とのコミュニケーションも可能です。また、故郷の友達以外の知り合いもできます。
田舎で遊ぶものがないと感じている人にこそ、ソーシャルゲームはまさに最適なゲームと言えるかもしれません。

そんなkentaroさんがgloopsの説明会で感じた印象は自由な気風でした。
服装もいわゆるお堅い社会人という感じではなく、自由に自分のありのまま、というタイプの人が多かったと話しています。金髪の社員の方もいたそうです。
「ゲームが大好きならOK!」という採用基準が見え、そこで働きたいと感じるようになったと言います。

Shiori.Oさんはオンラインゲーマー歴=人生!?圧倒的な遊びのプロ

次の先輩スタッフであるShiori.Oさんを見てみましょう。Shiori.Oさんはネット上で繋がって同時進行で遊べるRPGにはまって、幼い頃よりゲームに慣れ親しんできたのだそうです。

そして現在ももちろんゲームが好き。そのゲーム好きが嵩じて、エンジニアとしてgloopsに入社を決めたそうです。
梶原吉広をはじめとするクリエイター達の面白いゲームが、こうして時代のゲーム作りの担い手を生み出していくのは面白いなと感じます。

そんなShioriさんは、本当にゲームが好きという感じが、そのエピソードからも伝わってきます。
仕事を早く切り上げられた日には会社の同僚と居酒屋に行く、というようなことが語られていました。
仕事が終わってもゲームの話で大盛り上がり!まだまだ次のお店へ……みたいなことがあったようです。

やはり仕事とはいえ楽しむことが大切だと、モチベーションも高まり良いものが作れるのではないでしょうか。
Shioriさんは、昔からMMORPGなどのネットゲームで遊んでいたそうです。そのネットゲームでは、多くの人が集まって一緒にゲームを楽しむ、ギルドという組織運営などをしていたそうです。
そうしたゲームの運営経験が、Shioriさん自身を成長させてくれたと感じていたそうです。
人と人の繋がりを通じて成長させてくれたゲームを自分で手掛けたいという想いが、ゲーム会社への入社を決めた理由の1つだったそうです。

21. 9月 2017 · 梶原吉広と結婚した、山本梓とは? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 山本梓, 梶原吉広

ソーシャルゲームを運営している会社gloopsの創業者梶原吉広さんと、芸能人の山本梓さんが結婚しました!
その後、二人はシンガポールへ…現在も幸せな結婚生活を送っている、と話題になっています。

しかし海外に移住した当初は苦労したこともあったようです。
シンガポールへ移り住んだばかりの頃は、暑さと湿気が肌に合わずよく体調を崩していたという梶原吉広さん。どうやら暑さもストレスになることがあるようですね。
慣れない土地で事業を成功させたのは、妻である山本梓さんの存在も大きかったのではないでしょうか?

梶原吉広さんといえば、大人気ソーシャルゲーム「大熱狂!!プロ野球カード」ゲームなどを手掛けるgloopsの創業者だった事もあり、有名な方です。
では、そんな梶原さんと結婚した山本梓さんは、一体どのような方なのでしょうか。

人気グラビアアイドルとして活躍!

芸能人として活動されていた山本梓さん。彼女はなんと人気グラビアアイドル!ご存知の方も多いはずです。

山本梓さんはトミーズアーティストカンパニーという事務所に所属しながら、芸能界でもタレントとして多彩な活動を行っていました。
2001年にデビューしたそうですが、きっかけとなったとのはその前からだったそうです。
女性層から支持を受けていた女性向け雑誌、「Cawaii!」という雑誌で読者モデルとして起用されたのです。結果としてこの出来事が芸能界へと足を踏み入れる切掛けになったそうですよ。

2000年頃には特撮テレビの「忍風戦隊ハリケンジャー」にてテレビデビュー。この時の最終選考にはエピソードがあります。
選考をする際に「体を動かしやすい服装で」との連絡があったのですが、山本梓さんまで上手く連絡がいかずスカート・ブーツ姿で参加してしまったそうです。

他の選考者はみんなラフな格好で着ていたため、とても目立ってしまっていたそうです。けれど、担当者に良い意味で印象に残り「フラビージョ」役として決定したそうです。
このフラビージョは人気のキャラとなり、他のシリーズの映画作品などにも出演が決まったとか。

山本梓さんが演じた“一の槍フラビージョ”は、忍風戦隊ハリケンジャーの敵である悪の宇宙忍者の集団ジャカンジャの一員という設定。
元々はあまり成績の良くない可愛いコギャルだったのですが、その潜在能力を見抜いた敵の親玉によってスカウトされ、メキメキと頭角を現したという設定でした。
その強い力や作戦で主人公たちを苦しめたり、時には仲良くなったり、劇中アイドルユニットとして活躍したりと、活発な動きから多くのファンに愛されているキャラクターだったそうです。

CMでも見たことがある!という人は多そうですね。山本梓さんの出ているコマーシャルではスズキのワゴンRのCM。NTTドコモの「iアプリ」や、カロリーメイト。
ローソンや、マツダから発売されている車「デミオ」。アクサダイレクトの「ペット保険」などなど、有名なサービスや商品のコマーシャルにも出演しています。

シンガポールへ移住!でも、なんでシンガポール?

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そんな山本梓さんと結婚した旦那様の梶原吉広さんのお二人。
結婚後はシンガポールへと移住したそうです。ただ、なぜシンガポールなのでしょうか?

これには色々理由がありそうですが、おそらく梶原さんがシンガポールで事業を行っているからではないか?といわれています。

gloopsを韓国企業へと売り、自分で新しい仕事をシンガポールを中心に手掛けているのです。
それならば、シンガポールへの移住もうなずけます。梶原吉広さんは元々どんどん新しいことにチャレンジする、という姿勢でも良く知られている人です。

日本国内でも大人気のソーシャルゲーム会社を運営していたのにそれに留まらず、海外でも事業を行うというのは梶原吉広さんのアクティブさが目に見えて分かりますね。
また、シンガポールは子育てをするお母さん世代から非常に人気があると言われているようです。
教育はスキル別、ということを徹底しているために、落ちこぼれ生徒などはおらず効率が良い先進的な教育を受けることができるのだそうです。

山本さんも、タレントとしてシンガポールへ行く度に梶原さんと会い、関係を深めていったといわれています。語学が堪能で、英語も得意。そのためシンガポールでの生活に抵抗がなかったのではないか、とも噂されています。

山本梓さんとシンガポールで生活を送る梶原吉広さんですが、今一番欲しいものを聞かれると「まとまったお休みがほしい」と答えていました。なかなか連休が取れないため、まとまったお休みで子供と遊んだり、普段家事をしてくれる嫁さんのお手伝いをしたいという家族思いな一面も。

さらに「もし宝くじが当選したら?」との問いにも、自分のためではなく家族のために使いたいと梶原吉広さんは話しています。元々服にこだわりがあるわけでもなく、趣味という趣味もあまりないため自分にお金を使うことがないんだそう。宝くじがもし当選したら、家族で旅行や子供にあれこれ買ってあげたいと父親らしい一面もありました。

山本梓さんは英語のスピーチが得意ともいわれています。
シンガポールでの英語の会話もラクにこなせているのかもしれません。他にも韓国語なども得意だと言われています。NHK教育テレビのアンニョンハシムニカ・ハングル講座などに出演していたことがあり、ハングルへの造詣もあるようです。
色々な言語に慣れ親しんでいると、外国での暮らしも抵抗が少なくなりそうですよね。

また、シンガポールはベンチャー企業なども多く挑戦し続けたい人にはうってつけの環境になっていると言います。税金制度もそうですし、多くの海外企業などもシンガポールを選んでいます。
日本人も多くシンガポールに観光に行っていますが、ビジネスの面でもよくシンガポールは選ばれています。そうなると、梶原吉広さんが挑戦の地としてこの場所を選んだのも分かる気がしますね。

そんな梶原吉広さんは40代を目前としています。カッコイイなと思う40代の俳優として、藤木直人さんや竹野内豊さんといったイケメン俳優ではなく、ムロツヨシさんや大泉洋さんみたいな個性的な俳優に憧れているとのこと。存在感があり俳優という枠にとらわれていない感じが好きなようですね。

かつてのゲームといえばゲーム機と呼ばれるハードを購入し、その上で最適なソフトを購入してプレイをするという流れになっていました。
ドラゴンクエストやポケットモンスターなど、今や昔懐かしいと言われるほどの昔からあるゲームですが、ご存知の方は多いのではないでしょうか。

ドラゴンクエストはファミコンやスーパーファミコン、プレイステーションなど、多くのハードで愛されました。
ポケットモンスターはゲームボーイ、ニンテンドーDSなどの持ち運び型のゲームとして話題を呼びました。
家でじっくり遊ぶゲームも、テレビなどがなくても外で気軽に遊ぶ事が出来るゲームも、子供から大人まで夢中にさせてきました。

もちろん、今もこうしたハードの販売がおこなわれており、ハードに向けたゲームソフトが販売されています。
その一方で現在はソーシャルゲームの存在の方が目立っているのが実情です。
スマホなどの普及によってソーシャルゲームという仕組みが生み出され、多くの人がプレイしている状況にあります。

既にソーシャルゲームを利用したことがある人も多くいると思います。
そんなソーシャルゲームの可能性を広め、尚且つその存在そのものを世の中に広めて定着させることに貢献した人物として、梶原吉広さんの名前が挙げられます。

ソーシャルゲームの貢献に関しては色々な人が手掛けてきたと言われていますが、モバイルゲームをパートナー企業と共に提供してきたグリーも、ソーシャルゲームの知名度をあげた会社です。
グリーは梶原吉広さんのgloopsとは流行したゲームのジャンルが違います。

グリーの手掛けたゲームでは、主に恋愛ゲームが大ヒット。様々な時代で、様々なキャラクターとの恋愛を体験できるゲームが話題になりましたね。
グリーの田中良和社長も、この結果は予想外で、売上は僅かな時間で30倍にもなったと言います。こうした結果から、多くの会社はスマートフォン向けゲームへの対応に大わらわになったそうです。

では、梶原吉広が手掛けたゲームはどのようなものだったか?

ソーシャルゲームは様々なものがありますが、幅広い年齢の人が遊んでいます。
梶原吉広が関連したゲームと言えば、やはり「大戦乱!!三国志バトル」や「大熱狂!!プロ野球カード」になります。
あまりゲームで遊ばない、という年齢層が高めの成人にも広く受け入れられたと言われています。
三国志やプロ野球、というキーワードは、男性にも女性にも熱心なファンがいるからです。

こうした狙いがあったのかはわかりませんが、この2つのソーシャルゲームは現在もかなり多くの人が遊んでいるようですね。

もともと野球好きだったという梶原吉広さん。「大熱狂!!プロ野球カート」がリリースされたときは、一個人としても嬉しかったようです。同ゲームは自分だけの最強チームを作ることができるのですが、これも子供のころの「あの選手とあの選手が一緒のチームだったらどうなるだろう」という想像がベースになっているようですね。

また、梶原吉広さんは「とことん野球応援プロジェクト」の魅力について、野球に興味のなかった人にも(ゲームというコンテンツのため)親しみを持てることだと語っています。野球のおもしろさを多くの人に伝えていきたいそうです。

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梶原吉広さんは上述の通り、ソーシャルゲーム会社gloopsを立ち上げ、社長として数多くのソーシャルゲームを開発リリースしてきた人物です。
無論、そのような行為だけであればソーシャルゲームが数多く存在する今の時代においては珍しいことではありませんが、梶原吉広さんはそのような仕事の中で大ヒットと言えるだけの作品を数多く生み出してきた実績があるのです。
ソーシャルゲームというシステムが世の中に浸透するためには、当然ながらまずはその存在を世の中に認知されなければなりません。

いくら優れた作品があってもそこに目を向けてくれる人がいなければ意味がないのです。そのような中で梶原吉広さんは自社を通してリリースした数多くのソーシャルゲームを大ヒットさせました。
そして、その結果としてソーシャルゲームという存在を世の中に広めることとなったのです。
つまり、梶原吉広さんはソーシャルゲームがここまでメジャーな存在になる下地を作った人物のひとりとも言われているのです。

そのため、ソーシャルゲームを語る上で梶原吉広さんの存在を語ることは欠かせないと言われているのです。

梶原吉広さんは現在、ソーシャルゲームの世界から離れていますが、それでもかつての大ヒットメーカーなので、梶原吉広さんの今後に期待を寄せる関係者やファンも世の中にはたくさんいるのです。梶原吉広さんが手掛けた株式会社gloopsは現在も活動しており、多くのスタッフがソーシャルゲームを手掛けるため、入社してきています。ゲームが大好きという人達でも、ソーシャルゲームで幼い頃から育った、という人達も、今は少なくありません。そういった人達がgloopsで働きたい、とソーシャルゲーム作りに携わるのは、まさに梶原吉広さんの提供してきたゲームがもたらした、人脈のつらなりという事かもしれませんね。

そのため、今後も梶原吉広さんが大ヒットゲームを生み出す可能性もありますので、そのような動向には目を向けておきたいものです。
また、いずれにしても今のソーシャルゲームがあるのは梶原吉広さんの影響も大きいため、覚えておきましょう。

梶原吉広の創業したgloops、ソーシャルゲーム製作活動を手掛ける人々

梶原吉広さんは、既にgloopsを退社しています。それでも、gloopsはソーシャルゲームを、現在も手掛け続けています。
gloopsは国内発のソーシャルゲーム開発企業としてかなり大きな規模に成長しています。
多くのソーシャルゲームが好きな人、開発をしたいという人も集まっているようです。

そうしたソーシャルゲームに携わりたいという人が集まる背景には、gloopsのWORKPLACE、つまり労働環境も関係しているようです。

全社員と会議を行う事が出来る「ハングアウトフィールド」は、スタッフが気持ちよく過ごすことができるようにと、色々な配慮がされています。マッサージ椅子から、なんとゲーム機までおいてあるそうです。こうした場所で意見交換しながら、あるいは遊ぶ事で、業務上に役立つ思わぬヒントが得られないか?そんな着想なのだそうです。こうした考え方は、ゲーム会社ならでは、と言えそうですね。たとえば、昼休みに昼食もそこそこに終えたら、ハングアウトフィールドで普段話す事が出来ない部署の社員と話すと、活発な意見交換が出来るのではないでしょうか。