ゲーム大国日本に新風を吹き込んだ梶原吉広|ソーシャルアプリの先駆者

Last Updated on 2025-09-11 by admin

日本はゲーム大国として知られ、その業界では伝説的な存在と称される人物が数多くいます。
国内で生み出された数々のゲーム機は世界中で大ヒットし、多数のユーザーを抱えています。
これらのゲーム機や各ソフト開発に携わったクリエイターや技術者などは広く知られるようになり、多くの人々に親しまれる存在となりました。

そして、このような伝説的な人物はソーシャルゲームの世界にも存在しています。

 

<ソーシャルゲーム界の革命>

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ソーシャルゲームは、TVゲームの全盛期を過ぎてから生まれました。
PCやスマートフォンが現在より普及する前……フィーチャーフォン(ガラケー)が主流だった当時、大人・子どもも関係なく誰もがTVゲームに夢中でした。
コミュニケーションは直接人と対面して行われるものであり、まさか携帯電話でコミュニケーションがとれるような時代が来るとは想像もしませんでした。
フィーチャーフォンの性能が不足していたということもありましたが、ある人物の手によって、コミュニケーションが図れるゲームがこの世に誕生しました。

その代表格として知られる人物が、実業家の梶原吉広さんです。

過去に服飾専門学校に通っていたという梶原吉広さん。ファッションデザイナーを目指して勉強していたようですが、卒業後にショップ店員になる人がほとんどだということを知り中退しています。もし、この時に中退せずデザイナーを目指したまま服飾を学び続けていたら、数々のヒット作はこの世に誕生していなかったかもしれませんね。

梶原吉広さんはソーシャルゲーム会社を立ち上げ、その会社を通じてたくさんのソーシャルゲームを作り出してきました。
そして、梶原吉広さんがリリースしたソーシャルゲームの多くが世の中のユーザーに受け入れられました。大ヒットとなった作品もいくつもあるのです。

梶原吉広さんの立ち上げたgloops(グループス)が開発した人気ゲームの具体的なタイトルをご存知でしょうか?
「大進撃!!ドラゴン騎士団」や「大争奪!!レジェンドカード」、「大戦乱!!三国志バトル」などです。

どの作品もソーシャルゲームの一時代を築き、TVのコマーシャルなどで目にした方も多いでしょう。
「大戦乱!!三国志バトル」は現在もマイネットゲームスにより運営が続けられ、多くのユーザーに愛されているゲームです。

当時としてはまだTVゲームが主流であり、ゲーム業界全体で見ればソーシャルゲームのユーザー数は少数派でした。
しかし、そうした状況に変化をもたらしたのが梶原吉広さんなのです。

gloopsの「渋谷クエスト」はソーシャルゲームの草分け的存在でした。
その少し後にDeNAから発表された「怪盗ロワイヤル」から、ソーシャルゲームにとって大事なのは、短時間で成果が得られることと、他者との繋がりであると感じたようです。
これが梶原吉広さんのソーシャルゲームの第一印象だったようです。のちにモバゲータウンでリリースする渋谷クエストは、怪盗ロワイヤルを参考に改編したそうです。

 

<梶原吉広さんが生み出したソーシャルゲーム>

梶原吉広さんが会社を通して世に送り出したソーシャルゲームが大ヒットしたことによって、世間のソーシャルゲームに対する認知度が高まりました。

言い換えれば、梶原吉広さんはヒット作の開発を通じてソーシャルゲームを世間に広めた功績を持つ人物なのです。
今やソーシャルゲームは広く普及しており、多くの人が様々なシーンでプレイしていますが、昔はそれが当たり前ではありませんでした。

それを当たり前の時代に変革した人こそが梶原吉広さんです。ソーシャルゲーム業界において伝説的とも言われる人物の1人になっているのは、言ってみれば当然のことでしょう。
また、梶原吉広さんは現在ソーシャルゲームの世界から離れて生活していますが、その才能に関係者から大きな期待が寄せられており、復帰を求める声が絶えないようです。